【批評】「デトロイト」が描いたのは「普通の社会」の中に潜む狂気の瞬間

【批評】「デトロイト」が描いたのは「普通の社会」の中に潜む狂気の瞬間


アメリカ社会において、「人種問題」は今でも大きな課題のひとつになっています。

直接的な差別が改善された今でも、貧富の差や社会的な信用度など、「白人とそれ以外の人種」ではまだまだ格差があります。

アメリカに根深く残る人種問題を考える上で、2018年公開の「デトロイト」は重要な意味を持つ作品です。

その作中では、「差別はなくなった・改善された」と多くの人が考えている今だからこそ知るべき事実が生々しく描かれています。

 

1967年に実際に起きた「アルジェ・モーテル事件」を映画化

史実をありのままに見せる、という誠意

「デトロイト」は、1967年にアメリカの都市デトロイトで起きた大規模な暴動と、その中で発生した「アルジェ・モーテル事件」を描いたノンフィクション映画です。

州兵の部隊までもが鎮圧のために出動したこの暴動の中で、「アルジェ・モーテル」というモーテルの宿泊客の一人が、鎮圧隊に向かっておもちゃの銃を撃って挑発。

それを本当の銃撃だと誤認した鎮圧隊はモーテルに突入し、その場に居合わせた黒人の宿泊客たち、さらには白人女性の宿泊客をも拘束します。

拘束された人々の取り調べを担当するのは、デトロイト市警の警官たち。

しかし、彼らの取り調べは一人の警官の暴走によって次第に理不尽で暴力的な「死のゲーム」になっていき、最終的に黒人男性3人が死亡するという結末を迎えます。

まさに「人種差別が巻き起こした悲劇」と呼べるこの事件。しかし、この映画「デトロイト」ではその事件を、観客の同情心に訴えるわけではなく、冷静に淡々と描写していきます。

被害者、そして加害者や傍観者たちの心情に迫りつつ、「出来事」はあくまでも客観的に描く。

そんな描き方から、「事件について多くの人に知ってもらおう・考えてもらおう」という作り手の誠意がうかがえます。

 

ウィル・ポールターの怪演が光る

「デトロイト」には、「スター・ウォーズ」シリーズのジョン・ボイエガや「キャプテン・アメリカ」シリーズのアンソニー・マッキーなど、今のハリウッドで注目を集める黒人俳優が多く出演しています。

しかし、作中でいちばん重要な役割を果たしているのは、加害者である白人警官クラウスを演じたウィル・ポールターでしょう。

これまでに「ナルニア国物語/第3章」や「メイズ・ランナー」シリーズなどでキャリアを重ねてきたウィル・ポールター。

独特の「いじめっこ顔」も合わさって悪役俳優として知られてきた彼ですが、本作ではより生々しい「観客のヘイトを一身に集める人でなし」としての役割を全うしています。

演技であることを忘れさせるほどの完全無欠の悪人っぷりは、「アルジェ・モーテル事件」という過去の事件をリアルで血なまぐさいストーリーとして見せる上で、欠かせないものだったと言えるでしょう。

観ていて思わず引いてしまうほどの怪演は、大きな見どころのひとつです。

 

「まともな社会」だからこそ際立つ事件の異様さ

1960年代においても「異質」な加害者

「人種差別を描いた映画」と聞いて、多くの方は「白人が他の人種に理不尽に当たり、迫害する社会」をイメージするのではないでしょうか。

しかし、1960年代のアメリカには、そこまでの差別意識は残っていません。

むしろ、黒人の議員や警官もいて、制度上の人種差別はほぼ無くなっているなど、現代とさほど変わらない「理性的でまともな社会」になっていると言えます。

作中でも、傷だらけで逃げてきた黒人市民を州兵が「ひどい。誰がこんなことを」と同情しながら保護したり、虐殺事件を起こしたクラウスを上司が「この差別野郎」と罵ったりと、「黒人だからという理由で暴力を振るうなんて最低だ」という意識は当たり前に根づいていました。

事件を起こしたクラウスのような人間の方が「異質」だったと分かります。

 

「現代でも起こり得る」からこそ恐ろしい

クラウスの人種的な差別感情は、「黒人を小馬鹿にして軽んじる」というあくまで個人レベルのものです。

差別感情があるからといって、無差別に殺りくを行うほどの狂人だったとは言えないでしょう。

しかし、そこにデトロイト暴動の異様な空気が触れて「自分は暴徒の鎮圧をしてるだけだ」という意識や暴徒への恐怖感が加わることで、拷問まがいの取り調べや、無抵抗の人間の射殺を行うほどの暴走を引き起こしました。

この事実が示すのは、「アルジェ・モーテル事件のような惨劇は現代でも起こり得る」ということでしょう。

クラウスの行動は、「日常的に大きな事件を起こすほどではない差別感情や人種への偏見が、感情が高ぶる状況においては想像を絶する惨劇を引き起こすこともある」ということを証明しています。

 

最後に

「デトロイト」で描かれるのは、今から半世紀も前の事件です。

しかし、その内容や原因、事件が起こった背景を踏まえると、それが決して「今はもう関係ない昔の出来事」ではないと分かります。

差別制度の撤廃された「普通の社会」の中で起きた悲劇を通して、差別は社会構造だけではなく「一人ひとりの感情や意識」からも起こるということ示した「デトロイト」。

史実をストレートに描きながらも強いメッセージ性を秘めた、映画史において重要な一作ではないでしょうか。