自然災害をテーマにしたパニック映画はたくさんありますが、その中でも2009年に公開された「2012」という映画は、パニック映画史に残る超大作として知られています。
数々のパニック映画を手がけ、ハリウッドで「破壊王」と呼ばれているローランド・エメリッヒが監督を務めたこの映画。
マヤ文明にまつわる都市伝説をテーマに、未曽有の天変地異で地球が崩壊していく様をド派手な映像で描いて大ヒットを記録しました。
筆者個人としても、この「2012」を超えるパニック映画は未だ出てきていないと思っています。
ところが2018年1月、「ジオストーム」という新たな災害パニック映画が公開されました。
「近未来の地球で天候を管理する人工衛星が暴走し、地球のあちこちで大災害が巻き起こる」という異色作です。
この「ジオストーム」、ついに「2012」を超えるパニック映画の傑作になるかと思われましたが、結果は……残念ながら、新たなパニック映画の最高傑作とは呼べない作品だったように思えます。
なぜ「ジオストーム」は「2012」を超えられなかったのか。その理由を3つのポイントから評していきます。
小ぎれいにまとまりすぎた災害シーン
「ジオストーム」は、ハリウッド作品の中でも特に巨額の製作費をかけられた大作です。
莫大な予算で作られているだけあって、作中で描かれる破壊シーンは「さすがハリウッド」といえる大迫力でした。
ですが、これらの災害シーン、どうしても「きれいにまとまってるな」という印象を持ってしまいました。
「2012」で描かれた災害シーンは、ただ映像的に派手なだけでなく、ひとつの街全体がぐちゃぐちゃになっていく混沌とした様子が大きなインパクトを生み出していました。
数十mの地割れが起きて地下鉄が地上に飛び出してきたり、崩れるビルの壁面にしがみつく人々まで描かれるなど、まさに「この世の終わり」と思えるようなパニック描写の数々は、夢に出てくるほどの衝撃がありました。
そんな、パニックの中の空気感まで感じられるような映像と比べると、「ジオストーム」のパニック描写はまだまだ「小ぎれいすぎる」と思えてしまいます。
「2012」では大災害の真っただ中にいるキャラクターの視点からパニックが描かれたのに対して、「ジオストーム」では遠景から災害を描いたシーンが多かったのも、ハチャメチャな臨場感に欠けた理由でしょうか。
軽んじすぎた登場人物たちのキャラクター性
パニック大作では、どうしても映像的な派手さが重視されて、ストーリー性や登場人物の人間描写などはどうしても後回しになります。
ですが、映画である以上、観ている側が感情移入できるような最低限の「キャラづけ」は必要でしょう。
その点で、「ジオストーム」はこの「登場人物たちのキャラクター性」を軽視しすぎたように思えます。
「2012」でも人間描写は少な目でしたが、災害から逃げる主人公ジャクソン(ジョン・キューザック)と彼の家族たちは、どんな人物なのかしっかりと描写されていました。
何気ない会話や行動から、彼らがお互いを大切に思いあっているひとつの「家族」だということが実感できて、そんな彼らが生き残ろうと奮闘するのを「頑張れ!」と応援する気持ちを持てたんです。
ですが「ジオストーム」では、一人ひとりのキャラクターの言動が浅く、その言葉や行動の裏にある登場人物の感情が見えないシーンが多かったように思えます。
登場人物たちに共感しづらいので、結果的にストーリー展開がどうなってもあまり気持ちを動かされませんでした。
「2012」と「ジオストーム」を比較すると、「ドラマ描写を少な目にする」ことと「ドラマ描写を軽んじる」ことは違う、と分かります。
破壊描写にも「脈絡」が必要
「2012」での破壊描写は「主人公ジャクソンたちが大地震に襲われ、それから逃れた先で火山の噴火に襲われ、それを逃れたら今度は津波に襲われ……」と、ジャクソンたちが生き延びようとサバイバルをくり広げる過程で、いくつもの大災害に見舞われていくかたちで描かれます。
そこには「一難去ってまた一難」な感じがあって、「またパニック!一息つく間もないな!」とハラハラさせる脈絡がきちんとありました。
ところが「ジオストーム」では、「香港で熱波です」「ブラジルで寒波です」「インドで竜巻です」と各地で災害が起きるのを、主人公たちは情報として受け取るだけです。
そこにはストーリー上の脈絡がなく、ひとつひとつの破壊シーンは派手なはずなのに、映画全体としてはむしろ淡々としている印象を受けてしまいました。
ただ派手な映像を立て続けに見せればいいわけではなく、破壊描写にも「脈絡」が必要なのではないでしょうか。
最後に:圧倒的に「そこにいる」感が足りなかった
以上3点を総括すると、「2012」にあって「ジオストーム」になかったのは、「そこにいる」感だったのではないでしょうか。
感情移入できる登場人物が、大災害の真っただ中に当事者として立ち会っていて、彼らの目の前で街がぐちゃぐちゃに破壊されていく。
それらの要素が揃うことで、観客も大パニックの映像を観て「凄いなあ」「派手だなあ」という第三者的な感想ではなく、「ヤバい!早く逃げなきゃ!」という当事者のような感情に突き動かされ、ハラハラドキドキしながら破壊シーンに没入することができます。
そんな「そこにいる」感を存分に重視したパニック映画が今後作られたら、「『2012』を超える災害パニック映画が来た!」と言える日がくるのかもしれません。
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