【批評】80~90年代生まれの人こそ「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」を観るべきだ

クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲


毎年公開されている「劇場版クレヨンしんちゃん」シリーズは、単なる子ども向けアニメ映画の枠を超えて、「大人も子どもも、家族皆で楽しめるエンタメ作品」として親しまれてきました。

その中でも、2001年に公開された「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」、通称「オトナ帝国」は、大人が観てこそストーリーの真髄が分かる、感涙必至の超名作として知られています。

そんな「オトナ帝国」は、「1980年代~90年代生まれ」の人たちにこそ、今観かえしてほしい作品です。

今回は、公開当時にまさに「子ども」として「オトナ帝国」のストーリーに触れた世代だからこそ実感できるこの作品の味わい深さを、実際に映画館で観た90年代生まれの筆者が評していきます。

かつて「子ども」だった時代に別れを告げるオトナたちの物語

「オトナ帝国」のストーリーは、「古き良き懐かしの時代”20世紀”を取り戻すために大人たちを洗脳した秘密組織『イエスタディ・ワンスモア』に、しんのすけたち子どもが立ち向かって未来を取り戻す」というものでした。

クレしん映画の王道のドタバタ騒ぎを笑って楽しめる一方で、大人たちが気楽な子ども時代の思い出にのめり込み、大人であることを捨てて豹変していく様は、得体の知れない不気味さを感じさせて、どこかゾッとしてしまう部分もあります。

それをしんのすけたち「かすかべ防衛隊」の仲良し5人組が止めようとするのが前半のストーリーになりますが、後半ではしんのすけによって洗脳が解けたひろしとみさえが、「子ども時代の懐かしい空気」の誘惑に耐えながらイエスタディ・ワンスモアの陰謀を防ごうと奔走します。

つまり、「オトナ帝国」のストーリーは子どもたちが自分の未来を取り戻す戦いであると同時に、「ひろしたち大人が子ども時代に別れを告げ、未来に向かって進んでいくための戦い」でもあると言えます。

子ども向けアニメのクレヨンしんちゃんで「大人」にスポットを当てたからこそ、「オトナ帝国」は子どもたちだけでなく、親世代の心をも掴みました。

 

子どもとして「オトナ帝国」に触れた1980~90年生まれの世代

そんな「オトナ帝国」が公開されたのは、21世紀を迎えたばかりの2001年です。

この頃に「クレヨンしんちゃん」のメインターゲットだった層は、この当時幼児~小学生だった、1980年代後半から1990年代生まれの人たちでしょう。

つまり、この世代の私たちは「オトナ帝国」をリアルタイムで子どもとして楽しんだ上で、大人になった今、そのストーリーに込められた「大人向けのメッセージ」を改めて受け取ることができる唯一の世代です。

実際に「オトナ帝国」を映画館で観た人は、そのストーリーが、子ども時代の思い出の一つとして記憶に残っているのではないでしょうか。

そこに改めて触れると、懐かしい思い出とともに、映画に込められた本当の意味が分かります。

 

人生を積み重ねたからこそ気づける「あの日観たあのシーン」の重さ

「大人の目線」で観ることで分かるオトナたちの心情

ひろしやみさえたち大人が豹変して、まるで駄々っ子のような行動を見せるのは、当時映画館で見たときは「変なの」と笑えました。

そして、大人が気楽な子ども時代に異常に執着する様は、「そんなのおかしい」と感じました。

ですが、大人になって改めてこの描写を見ると、「分かる」「無理もない」と共感してしまう部分も多いのではないでしょうか。

責任もなく不安もなく、開かれた未来があった幼少期は、現実の重圧や閉塞感に悩む今となっては、かけがえのないものに思えます。

実際に「あの頃に帰れる」という誘惑に負けた大人たちを見ても、簡単に笑うことはできません。

そして、その誘惑を乗り越えて未来のために走るひろしとみさえの姿は、「アニメのキャラクターが頑張ってる」という以上の意味合いを感じさせます。

「俺の人生はつまらなくなんかない!」と言い切るひろしの姿は、子どもの頃に観た以上にグッとくるのではないでしょうか。

「オトナ帝国」は、大人になったからこそ理解できるシーンやセリフの宝庫です。

 

初めて分かる「ひろしの回想」に込められた重み

「オトナ帝国」を語る上で欠かせないのが、ひろしが人生をふり返る回想シーンですね。

  • 父親の自転車の背に揺られた幼少期から、甘酸っぱい初恋も挫折も経験した青春時代
  • 期待と不安に満ちて社会に足を踏み入れた時期
  • のちに妻となる女性(みさえ)と出会って親しくなっていった時期
  • しんのすけが生まれた日
  • 「我が家」に引っ越してきた日

何気ない日常を重ねて、今度は自分があの日の「父親」になっていた現在……と人生をふり返る回想は、「クレヨンしんちゃん」の枠を超えてアニメ史に残る名シーンとして語られてきました。

 

そんな回想シーンも、子どもの頃に映画館で観た時は、特別「泣ける!」という気持ちにはならなかったのではないでしょうか。

それを今改めて観ると、「涙なしでは観られない」という評価に違わない感動を感じられます。

これほど感想が変わるのも、私たちがまさしくひろしの回想のように「人生」を積み重ねてきたからではないでしょうか。

80年代~90年代生まれの私たちは今、ひろしやみさえと同じ年代に差しかかりつつあります。

楽しいばかりではない時間を生きてきた今、ひろしの回想は単なるフィクションではなく、同じ年代にいる私たちの人生の1ページ1ページと重なるリアルな描写として映ります。

なぜ大人たちがこの回想シーンをこぞって「泣ける」と評価してきたのか、実際に大人になった今は、そこに込められた重みが痛いほど分かります。

 

最後に

2001年の公開当時、幼い子どもを持つ親世代の人たちは、「オトナ帝国」を「大人の自分が観ても感動できる名作」として受け取りました。

そして、後にビデオやDVDでこの映画に触れた大人たちも、はじめから「大人の視点」でストーリーに触れてきました。

そんな中で、私たち80年代~90年代生まれの世代は、「オトナ帝国」を子どもとしての視点で受け取り、今改めて「大人の視点」で受け取ることができる最初の世代になりました。

「映画館であの日観たあのクレヨンしんちゃんには、こんなメッセージが込められていたんだ」という感動と合わせてこの映画を体験する衝撃は、2つの視点でストーリーを受け止められる私たちにしか味わえないものです。

あの日見上げていた「オトナ」になった今だからこそ、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」を手に取ってみてください。

「オトナ帝国」を観てワクワクした子どもの頃から今までの人生をなぞって思い出させるようなストーリーは、感涙必至です。