遠藤周作原作の「沈黙」を実写化したアメリカ映画、「沈黙―サイレンス―」。日本では2017年に公開されました。
監督のマーティン・スコセッシが、十年以上前に原作を読んだときから映画化したいと考えていた作品として、公開前から注目を集めていました。
舞台は日本というだけあって、浅野忠信や窪塚洋介、イッセー緒方など、大物俳優も出演している作品。
今回は、「沈黙―サイレンス―」の見所をご紹介したいと思います。
江戸時代のキリスト教弾圧を描いた作品
物語の舞台は江戸時代初期の、キリスト教弾圧が最も苛烈であったとされる時代です。
ポルトガルからの宣教師を主人公として、隠れてキリストを崇拝する日本の農民や、農民や宣教師たちを厳しく取り締まる幕府方の役人たちの様子が描かれた作品です。
主人公は若きポルトガルの宣教師、ロドリゴ神父。イエズス会から、日本への布教を使命として渡日していたフェレイラ神父が、幕府の弾圧により改宗したという知らせを聞き、彼は同僚のガルペ神父と共に日本へ渡ることを決意します。
フェレイラ神父の改宗の真偽を確認することと、日本への布教を使命として、キリスト教を弾圧している日本へと密航するロドリゴ神父たち。
彼らが日本へわたり、そこでキリスト教を信仰していた日本人と出会い、苦悶していく物語です。
物語では、宗教を信じることはいったいどういうことかという問題、つまり信仰の問題が冒頭から結末まで貫かれています。
ポルトガルで神の教えを学んでいたロドリゴ神父たちが、日本人の信仰者たちと出会い、彼らの宗教が「間違っている」ことに憤りを感じながらも否定できない様子や、拷問を受けながらも賛美歌を歌う日本人の信仰者の姿に打ちひしがれる様子、そして自らの命を脅かされたときの様子などが随所に描かれています。
日本人にはキリスト教のような一神教を崇拝する人は少ないと思いますが、そういった日本人でも、「沈黙―サイレンス―」に描かれた人びとの信仰心の強さには心打たれるものがあるでしょう。
弱い人間を描いた魅力作
信仰心の問題を描いた本作ではありますが、物語の中心になっているのは、信仰のために命を投げ出すことのできる強い人間ではありません。
主人公のロドリゴ神父は、おそらくイエズス会の神父からすれば命ほしさに信仰を貫くことができなかった弱い人間として描かれ、信仰のために死んでいく日本人と共に殉教したガルペ神父とは対照的に描かれています。
また、殉教していく日本人に疎まれているキチジローという日本人も、本作を語る上では外せない存在です。
窪塚洋介演じるキチジローは物語の序盤から登場し、キリスト教を信仰する日本人から「裏切り者」としてさげすまれていました。
彼は、以前に何度も命ほしさに幕府の脅しに屈して来ました。
そのたびに、口ではキリスト教なんかじゃないと叫びながらも、結局キリスト教を信仰する者たちの集まりに戻ってくるキチジローは、信用のならない者であったのです。
主人公のロドリゴ神父も、彼が状況に応じてキリストを罵倒する姿を軽蔑していました。
ですが、命と引き換えに改宗を迫られたロドリゴ神父の下した選択や、この物語のラストを見たとき、キチジローのような信仰の仕方が決して「悪」ではないことがわかります。
原作者である遠藤周作もまた、時代に流され、信仰を守ることができない弱い人間にこそスポットをあてたいと考えていました。
この作品では、そうした遠藤周作の思いを見事に描いたものだと言えます。
音楽のほとんどない映画
この映画のタイトル、「沈黙」とは、主人公ロドリゴ神父の苦悶を表した言葉です。
信仰と命の危機に追いやられたロドリゴ神父は、神への祈りだけは日々欠かしませんでした。にもかかわらず、彼がすがる神は何も答えない。
「なぜ神は我々にこんなにも苦しい試練を与えながら、沈黙したままなのか?」
ロドリゴ神父は作中で幾度もそう問いかけます。その問いかけは、神への疑念にもなるような問いかけでした。
そうした切羽詰った信仰の問題をあらわすかのように、作中ではBGMはほとんど使用されていません。
美しい山や海の景色、そして劇的な場面など、普通の映画ならば壮大なBGMが流れるであろうシーンでも、この映画は徹底して沈黙を守っています。
スコセッシ監督は、禁欲的に音楽を拝することで、映画作品の創作性をそぎ落とそうとしたと言います。
そのため、信仰についての描かれ方が、かえってリアルな敬虔さを伴って表現されています。
この映画は、スコセッシ監督自信の信仰心を描いた作品なのかもしれないと思わせるほど、誠実かつ真面目に信仰について扱った作品だと思います。
最後に
圧倒的な構成と脚本、そして誠実な問題意識にもとづいて描かれたこの作品。
俳優たちもまた、非常に真摯にこの作品に取り組んだことが俳優陣のインタビューからわかります。
冬の海ではりつけの刑に処され殉教するモキチを演じた、塚本晋也はあばら骨が浮き上がるほどの減量をして、貧困状態にあった農民を表現したといいます。
このような俳優陣の演技と、それによって表現される命と信仰の問題。
難しい問題を娯楽映画として完成させたスコセッシ監督の手腕と共に、この作品は一見の価値ありのオススメの作品です。