2011年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件(9.11)」は、史上最悪の大規模テロ事件として世界に衝撃を与え、その爪痕は今もさまざまなかたちで残っています。
一般的には「ワールドトレードセンターに2機の航空機が突っ込んだ事件」として知られるこのテロ事件。
あまり知られていませんが、実はこの2機とは別に2機の旅客機がハイジャックされ、1機はペンタゴン(アメリカ国防総省)に突入しました。
では、残る1機はどうなったのか。それを迫真のドラマとして描いたのが、「ユナイテッド93」です。
「ユナイテッド航空93便テロ事件」を映画化
通信やレコーダーの記録からテロ当時の機内を表現
ユナイテッド航空93便は、テロ事件でハイジャックされた旅客機のうち、最後に離陸した機です。
そのため、先に他のハイジャック機による自爆テロが発生し、乗客乗員たちは携帯電話での家族との連絡などを通じて「複数の旅客機が自爆テロ目的でハイジャックされている」ということを早い段階で知ることになりました。
そして、「テロ犯を倒さなければ自分たちも自爆で死んでしまう」と判断した乗客たちは蜂起して4人のテロ犯に抵抗。それを鎮圧できないと判断したテロ犯は諦め、目標(ホワイトハウスと推測されている)のはるか手前の野原に機体を墜落させます。
結果、テロ犯を含む乗客乗員は全員死亡。ユナイテッド航空93便は、ハイジャック機のなかで目標への突入に唯一失敗した機になりました。
当時の機内の様子や乗客たちの抵抗を、ボイスレコーダーや通信の記録、それぞれの電話でのやりとりなどをもとに映画化したのがこの「ユナイテッド93」です。
無名俳優や管制にあたった本人を起用した異色のキャスティング
「ユナイテッド93」では、テロ事件当時の空気をできるだけ忠実に再現し、ノンフィクション映画としてありのままの全容を描くために、キャスティングにも徹底的なこだわりが表れています。
乗客乗員を演じる俳優には無名キャストが並び、立ち回りにもリアリティを出すためにパイロットや客室乗務員にはその業務の経験者を起用。
さらに、管制官などの役にはなんと「事件当時にその現場で働いていた本人」を起用し、実際に現場の状況を体験した人々によって撮影が行われています。
同じくアメリカ同時多発テロ事件を描いた映画「ワールド・トレード・センター」ではニコラス・ケイジなどの有名俳優が起用されたことと比べると異色のキャスティングで、「当時の様子をドキュメンタリーのように”伝える”」ことに重きが置かれているのが分かります。
当時の混乱を生々しく見せるストーリー
「俯瞰する視点」と「テロの最前線」
「ユナイテッド93」のストーリーの中で特徴的なのが、93便の機内だけでなく、管制施設やアメリカ軍の防空施設の描写にも大きく力を入れている点です。
特に前半1時間ほどは、まだハイジャックが発生していない93便の機内は静かなままに、ワールドトレードセンターへの自爆テロが起こって情報が錯綜し、混乱を極めていく地上の描写の方が印象的に映ります。
誤報も入り混じるなかで管制官や軍の関係者が対応に追われ、事件の規模すらつかめないまま状況が悪化していく展開は、あまり知られてこなかったテロ事件の舞台裏を生々しく見せてくれます。
ハイジャックが発生して恐怖に包まれていく93便の機内だけでなく、地上の管制官や軍による「テロ事件を俯瞰する視点」が分かるのは、最前線の現場のパニックを中心に描いた「ワールド・トレード・センター」などの他の9.11映画と比べて興味深いポイントです。
凄まじい緊迫感に包まれた機内のドラマ
「ユナイテッド93」の物語としてのピークは、ラスト30分にあります。
そこでは、乗客や乗員が「生き延びる」ことに望みをかけてテロ犯たちに立ち向かう姿が、想像を絶する緊迫感とともに描かれています。
それまでのストーリーでテロ事件のリアルな空気が描かれ、乗客たちの恐怖や絶望が伝わっているからこそ、この反撃のシーンには息をするのもはばかられるような緊張があります。
全員死亡という悲劇で終わると分かっていながらも「あと少しでコックピットに届く、頑張れ!」と応援せずにはいられません。
映画的な派手さ・見栄えを排して乗客もテロ犯も団子状になって殴り合うような死闘が描かれ、その泥臭い生々しさもシリアスさに拍車をかけます。
また、死を覚悟して家族に電話で最後のメッセージを送る乗客たちの姿も、その心情を臨場感たっぷりに伝えていて涙なしでは見られません。
実際に、機内の描写や乗客たちの心境は家族とのやりとりをもとに再現されている部分も多く、だからこそ確かな体温と重みをもって響いてきます。
最後に
「ユナイテッド93」が描いたのは、ワールドトレードセンターとはまた別のところで起こった「もうひとつのアメリカ同時多発テロ事件の真実」です。
また、テロの現場だけではなく、混乱しながらも状況に対処しようとした管制官や軍の戦いにスポットをあてたという点でも「もうひとつのアメリカ同時多発テロ」を描いた作品ということができるでしょう。
アメリカ同時多発テロ事件の当時の空気を多角的な視点で描く作品として、また「生きようとテロ犯に立ち向かった人々がいた」という事実を伝える作品として、歴史の上でも重要な一作です。